本書の情報:千葉雅也 『現代思想入門』(2022.3 講談社)
現代思想:1960〜1990年代にフランスで栄えた「ポスト構造主義」を指します。主な哲学者として、デリダ、ドゥルーズ、フーコーがいます。
現代思想は大まかに言うと、権力によって成り立つ秩序を非難し、秩序の外部へ逸脱することがクリエイティブだと考える傾向があります。
本書の目的の1つに、読者に「二項対立の脱構築」を目指してもらうがあります。
これは「物事を二項対立で考えて、良し悪しを決めることを留保する」ことを指します。
例えば、夜ご飯を食べる時、「自炊」vs「外食」の二項が対立したとします。この際に、一旦両者共メリット・デメリットを持ち合わせていますので、どちらが最終的にプラスかマイナスか分かりません。
朝起床後に、ダラダラとスマホを眺める「怠惰=マイナス」か、体操や読書をする「プラス」の
二項対立が生まれます。ここで、常識的に考えた後者「プラス」をするべきです。ですが、一旦それを留保して良し悪しで考えるのを止めよう、ということです。
脱構築的な考えが手に入る本と呼ぶことができるでしょう。
以下では、3つの脱構築を軽く紹介します。
デリダ 概念の脱構築
先程紹介したように、何かを考える際に二項対立を用いています。その対立を「本質的vs非本質的」とおくと、「本質的」の方が一般的には良し考えるのは当たり前でしょう。
しかし、デリダは「非本質的」なものの重要性を説いています。
二項対立のマイナス側・非本質的側は他者側と捉えることができると言います。すなわち、他者へ向かうことの重要性について考え、自分の内部を守らず外部へ身を開こうということです。
私たちは何かを決断する時、必ず捨てた選択に対する未練が残るでしょう。その未練が他者性への配慮となります。未練が残ってしまう決断をすることこそが本当の決断なのです。
ドゥルーズ 存在の脱構築
- 世界は差異でできている
- 世界は様々なものが複雜に絡み合っている
という考えが根底にあります。
また、全ての物事はプロセスの途中であり、本当の始まりと終わりはない
→とことん突き詰めても完成はないので、完璧を目指す必要はない のです。
以上のことから、本当の自分を見つける必要はないという主張が生まれます。色々なことをして半ば安定して状態作り出したら良いと説いています。
しかし、何かに関わりすぎると監視や支配となってしまうので、やりすぎも良くないのです。つまりケース・バイ・ケースですので、これは哲学の難しい所です。
フーコー 社会の脱構築
社会(権力)において支配者層と被支配者層に別れています。多くの人は後者にあたるわけですが、実は支配されることを望んでいる一面があります。単純に、支配者は悪だととは決めつけられないのです。
また社会はマジョリティとマイノリティの二項対立と考えられます。ここでも、単にマジョリティが正しいとするのではなく、マイノリティにも正しさがある。すなわち、そのどちらが本当に正しいのかという曖昧さこそを良しと考える。このようなことがフーコー価値観だと言います。
マジョリティが優先され、逸脱を取り締まるような管理社会に対する批判が社会の脱構築を表します。
本書はデリダ・ドゥルーズ・フーコーの脱構築の考えに加えて、カントの精神分析、ニーチェなども取り上げて、現代思想について深く内容を掘り下げていきます。
その箇所は難しくなり、ここでは説明できませんので、是非本書を読んで理解を深めて頂けたらと思います。
このように、哲学の入門書と言えど、素人からすると今まで考えたこと、学んだことのない概念や価値観を扱いますので、完璧に理解はできません。しかし、「現代思想」の入門書としては確実に分かりやすく解説がなされていることは間違い無いでしょう。
哲学的な問いに関して議論ができるようになるには、本書のような一般人に易しい入門書から徐々により専門的な書へと手を出していく必要があります。
千葉雅也氏の『現代思想入門』はその足掛かりとなる最適な一冊です。